本屋さんのつぶやき日記 第3回 「『頭がいい』彼ら、『頭が悪い』私」 書店勤務L

発売当初から、「これは、さぞ、胸かき乱されることだろうな」となかなか手に取る勇気が出なかった本『彼女は頭が悪いから』。女子大生の神立美咲が、竹内つばさたち東大生による「強制わいせつ事件」に遭う話で、現実に起こった事件に着想を得た小説だ。大晦日の夜から元旦にかけて、一気に読みながら涙を流した。なぜなら、程度の差はあるけれど、自分にも身に覚えがある話だったからだ。

女子高でのんびり過ごし、エスカレーターで女子大に入学した自分にとって、国立大のインカレサークル(他大学の学生と交流できるサークル)に所属していた4年間は、思い出すのもおぞましいくらいの、ろくでもない日々だった。

男性陣のほとんどはそのサークルがある国立大の学生で、女子は、他の私立大から来たメンバーが多かった。「女はいつも感情論で喋るからなー」「おまえは一見賢くみえるけど、そうでもないよな」と、私たち女のメンバーのいるところで、大声で言うような”エリート”男性陣である彼らの中で、かわいくもきれいでもなく、言い返すだけの強さも頭脳も持たなかった自分。

彼らの言葉や態度から受けた衝撃を、卒業した後も10年以上引きずってしまっていた。

自分が少しはしゃいでしまったときに彼らから向けられた、背筋が凍るような、シラケきった侮蔑的な視線の冷たさ。

同じサークルの後輩が皆の前で出し物をしたときに、「いやー〇〇くん、今日は最高だったよ!」と皮肉を言い放ったときの、同期メンバーの顔つき。

私立大生を指して、「あんなところに行くヤツ、人間じゃねえよなー」と言ってたこと。

そのたびに強い不快感と、「自分は彼らにとって、人間以下なんだな」という劣等感とを感じていた。のびのびのんびりとした、少し自己主張強めのそれまでの自分は、すっかりどこかへ行ってしまった。人に対してビクビクしてしまうくせが、この4年間でついてしまって、いまだに取れていない。

私が出会った国立大のサークルの男子学生や、この本の中の東大生たちのプライドは、どうしてここまで歪んだ形で肥大してしまったのか。東大生のつばさが自分の内に湧き上がる不快感や痛みを、自分で掴み切ることなくやり過ごす場面、

「自分の裡の、そんなかんしょくの正体に近寄ろうとは、つばさはぜったいにしない。メリットがないからだ。無駄だ。」というところに、

自分は「あっ」と脳内で声を上げてしまった。彼らは、勉強は得意なのかもしれないが、自分の痛みを把握すること、その痛みに関して適切な処理をすることは苦手なんじゃないか、と思った。常に上を目指すために、自分の痛みなどにかまっている余裕はない、いや、自分に痛みを感じる泣きどころなど存在しないかのように、振る舞うことを求められてきたのかもしれない。自分の痛みを無視することに慣れてしまったがために、だんだん他人の痛みに対しても鈍くなってしまったのではないか、と。

とてつもなく鈍感な彼らによって、ゴミのように扱われた主人公の美咲。わいせつ事件の被害に遭う前の彼女は、きっとほんわりとしたやわらかな雰囲気を持つ女性だったろうなと想像する。以前の美咲には、もう戻れないのだと悲しいけれど確信する。そのやわらかさの片鱗だけでも、取り戻すのにどれほどの時間がかかるだろうか?

目の前の人間の痛みに、どれだけの想像力を働かせることができるか。知性とは、そのためのものであると思う。この本のなかの東大生たちに、その力はまるでない。すれ違うだけの人、ひとりひとりにそれぞれの人生があり、歴史があり、痛みがあるということに思いを馳せることがまったくない人たちに、「頭がいい」という形容を自分は使いたくないと思う。

この本を読む前に読了した『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでも感じたことだが、女性のほうが内省的な人が多いように自分には思える。女性であるがゆえの、理不尽な出来事に遭遇するたび、乗り越えられない壁の存在をたびたび思い知らされる分、どうすればこの闇を乗り越えられるのか? 努力さえすれば手に入れられることがわかっているものは限られていて、努力したとて手にはできないかもしれない力をなんとか掴みとるためには、自分に何が必要で、何を切り捨てなければならないのか、判断を迫られる場面に多く遭ってしまった分、内面から湧き上がる声に注意深く耳を傾ける力が、図らずもついてしまった人が多いように思う。

自分は、死ぬまで美咲の側に立ちたい、味方でいたい。だが、つばさたちを「屑」と片付けるだけでは、美咲を救えない。

自分の痛みを無視しないこと。自分の痛みと他人の痛みを無視しない、内省的な人を生む世界をつくりあげていけるよう、小さなことから不断の努力を重ねること。

自分の弱さと学習能力のなさには、いつもため息が出てくるけど、あきらめずにいたい。あきらめてはならない。それが、人間の義務だと自分には思えるからだ。

姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』文藝春秋、2018年

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』筑摩書房,2018年