本屋さんのつぶやき日記 第1回「なんにもなくても本がある」 書店勤務L

「ロスジェネ世代。書店勤務1●年目に突入。本と珈琲と旅が好き。いつかアイスランドに行くのが夢」書店勤務Lとその友人「ウィスパーボイスで基本マイペース」地方都市・某大手書店のすずとも店長が、気になることを通して交代で本を紹介する「本屋さんのつぶやき日記」です。

第1回は書店勤務Lの「なんにもなくても本がある」です。

わたしたちの世代は「失われた世代」らしい。
失われた、と言われて、うーん「失われた」のか、それならば、もともとあれもこれも、本来手に入れていたはずのものなのか? とはじめて考えた。
好きなことよりも、嫌いなものにまず目がいく自分は、出来る限り嫌いなものに出くわさずにいようとそれだけを固く決意して生きてきた。気づけば、「手にした」と言えるようなものはなに1つないよな……というのが実感だ。
パートナーも子どももいない。友人も少ない。お金もない。
キャリアと言えるだけのキャリアもなく、これだけはずっと続いている、というほど打ち込んできた趣味もない。ただ、これまで生きてきていつも近くに本があった。

なにも持っていない自分、世界に自分を切実に必要とする人がもはやひとりもいない自分。
なんのために生きるかと問われたら、
「読みたい本、聴きたい音楽、観たい映画、行きたい国があり、会いたい人(まだ知らない人も含む)がいるから」と答える。
この答えは、20年くらい前からずっと変わらない。
それでも時折、自分はなにも持っておらず、人格もすぐれず、他人に必要とされてないという事実にやさぐれ、生きていくのが恥ずかしく面倒になるときがある。
そんなときはまず書店に飛び込み、喉の渇きを癒す水を求めるように書棚をうろつくのだ。そのときの自分の眼は、なにかに取り憑かれたような必死さをたたえているだろう。はたから見れば切迫した、ちょっとヤバい様子をしているんじゃないかと思う。
先日もそんなふうにうろついていて出会った本のなかに、生涯胸に刻みたいことばを見つけた。

いつでも人には親切にしなさい。
助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。
だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。
これから頑張ってね、さようなら。お父さんより

『ヒトラーに抵抗した人々- 反ナチ市民の勇気とは何か』

『ヒトラーに抵抗した人々- 反ナチ市民の勇気とは何か』(對馬達雄、中公新書)で紹介されている、アドルフ・ライヒヴァインという人がナチスに処刑される直前に娘に宛てた手紙の中の言葉だ。
死ぬ間際に人生を振りかえったとき、どれだけこの言葉に忠実に生きてこられたか? と自問自答し、まぁまぁ、これだけは出来るようになったよなぁ……と言えればいい、と思っている。
それぞれの人に、それぞれの胸に刻みたい言葉が見つかりますように、と祈るように思う。
偶然でもいい、適当に手に入れた本を読んだときに、うっかり出会ってしまうかもしれない。
自分を強くすることばに、これからも出会いたい。本を読むことに意味を求めるのは野暮かもしれないが、それがなにももっていないわたしの、本を読む意味だ。
いまはヘタレでも、死ぬまでにすこしでも今より強く、優しい人間になりたい。
最終目標をそこにおいて、今日もガツガツ、本を読む。